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月100万円の愛人契約!?お断りします!
月100万円の愛人契約!?お断りします!
Author: 菊池まりな

第1話  月100万円の愛人契約!?

last update publish date: 2026-10-20 15:24:29

 朝六時。

 塩入深雪しおいりみゆきは、目覚まし時計が鳴る三秒前に目を覚ました。

「……あと五分」

 そう呟いて、布団に顔を埋める。

 そして五分後。

「──って、無理! 遅刻する!」

 飛び起きた。

 寝癖を手ぐしで直し、顔を洗って、トーストをくわえながら鞄を掴む。

 今日も、いつも通りの朝だった。

 大学の奨学金返済。

 実家への仕送り。

 家賃と生活費。

 二十三歳の深雪にとって、「余裕」という言葉は辞書の中にしか存在しない。

 昼はカフェ「Cafe Luce」。

 夜は居酒屋。

 二つのアルバイトを掛け持ちして、空いた時間に文章を書く。

 それが、深雪の日常だった。

「深雪ちゃん、おはよう」

「おはようございます!」

 カフェに駆け込むと、先に来ていた店長が笑った。

「今日もギリギリね」

「すみません!」

「でも間に合ってるから偉い」

「それ、褒めてます?」

「半分くらい」

 笑いながらエプロンを身につける。

 忙しい。

 疲れる。

 眠い。

 それでも、この仕事が嫌いなわけではなかった。

 注文を受けて、料理を運んで、お客さんに「ありがとう」と言ってもらう。

 そういう小さなやり取りが、深雪は好きだった。

 そして、もう一つ。

 深雪には誰にも話していない「好きなこと」がある。

 文章を書くこと。

 スマートフォンを開けば、そこには別の名前のアカウントがある。

 ペンネーム──「ひなたのねこ」。

 日常の小さな出来事。

 電車の中で見かけた親子。

 雨の日に傘を貸してくれた見知らぬ人。

 コンビニ店員の何気ない一言。

 そんな些細な出来事を、深雪は文章にしていた。

 最初は完全な趣味だった。

 けれど、ある日。

 投稿したエッセイがコンテストで入賞した。

 それをきっかけに、女性向けファッション誌から声がかかり、現在は月一回のコラムまで担当している。

 けれど。

 深雪は、そのことを周囲にはほとんど話していない。

 別に隠したいわけではない。

 ただ──。

「文章で食べていけるわけでもないし」

 そう思っていた。

 だから、昼はカフェ。

 夜は居酒屋。

 文章は、その合間。

 それで十分だと思っていた。

 その日の夜。

 居酒屋の仕事を終え、深雪は午前一時過ぎに帰宅した。

「つかれた……」

 ベッドに倒れ込む。

 スマートフォンを見ると、編集部からメールが一件届いていた。

 次回コラムについての連絡だった。

 深雪は小さく笑う。

「……よし。頑張ろう」

 文章を書くことだけは、疲れていても不思議と苦にならない。

 ノートパソコンを開いた。

 そのときだった。

 新着メールが一件。

 差出人の名前は──「T」。

「……T?」

 知らない名前だった。

 迷惑メールかもしれない。

 そう思いながら開く。

 本文は、短かった。

『突然のご連絡を失礼いたします』

『あなたの文章を以前から拝読しています』

 深雪の指が止まった。

『あなたにお願いしたいことがあります』

 そこまでは、まだ普通だった。

 問題は、その次の一文。

『月100万円で、私と愛人契約を結んでいただけませんか?』

「…………」

 深雪は画面を見つめた。

 三秒。

 五秒。

 十秒。

 そして──。

「……は?」

 思わず声が出た。

 もう一度読む。

『月100万円で、私と愛人契約を──』

「いやいやいやいや!」

 深夜の一人暮らしの部屋に、深雪の声が響いた。

「何それ!?」

 詐欺。

 そうに違いない。

 あるいは、ものすごく悪趣味な冗談。

 そう思った。

 けれど、メールの最後にはこう書かれていた。

『返事をお待ちしています』

 深雪は頭を抱えた。

「……私、何か悪いことした?」

 もちろん、していない。

 ただ、一つだけ気になることがあった。

 メールの途中に書かれていた一文。

『あなたが書いた、先月の「雨の日の傘」というエッセイを読んで、あなたにお願いしたいと思いました』

 その文章は、深雪が「ひなたのねこ」の名前で発表したものだった。

 つまり、この「T」という人物は──。

 深雪の文章を、本当に読んでいる。

「…………怖い」

 深雪はノートパソコンを閉じた。

 そして、きっぱりと言った。

「絶対に、お断りします!」

 このときの深雪は、まだ知らなかった。

 月100万円の愛人契約を持ちかけてきた男が、やがて自分の人生を大きく変える存在になることを。

 そして──。

 その男が、思っていた以上に身近な場所にいることを。

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